歴史

安徳天皇の養和元年(1181年)に、藤原俊成卿によって創建されたと伝えられています。
御祭神は市杵島姫命で、開運・安産・縁結の神として、古くより広く世に知られております。
三河雀という書物には、江の島・竹生島・厳島と共に、日本七弁天の中に挙げられています。

竹島  八百富神社

自然

竹島全島は暖帯林特有の照葉広葉樹に覆われ、いわゆるタブ型森林を構成しています。
高木層にはタブノキの他に、モチノキ・ヒメユズリハ・ヤブニッケイなどが多く、
さらに島を囲む波打ち際上部の急斜面にはマサキ・トベラ群落が成立しています。
樹下にはヤブソテツ・ツワブキなどや、テイカカズラ・サネカズラなどの蔓植物も多い。
特に林床のキノクニスゲは、竹島が日本における分布の北限とも言われており、
これまでの調査で65科238種の高等植物の自生が確認されています。

竹島は小面積の割に草木が密生し常緑樹が多く、対岸のクロマツ林とは景観が異なります。
この植物群を保護する目的で、昭和5年8月25日、国の天然記念物に指定されました。
陸地に接近した島で、植物区系を異にする例は、東海地方では他にはなく、
学術的価値のきわめて高い代表的な暖帯林になっています。

竹島  八百富神社

四柱の御祭神

宇賀神社
宇賀神社 / 宇迦之御魂神

宇迦之御魂神は穀物の神様であり、『宇賀神王略縁起』には寿永三年から建久四年(1184〜1193)当地方の三河守であった源範頼公が深く信仰した神霊と記されています。海嘯により流されてしまい一時期は郡内国府村(現在の豊川市国府町)で祀られていましたが、享保十年(1725)に国府村の住人と竹島の神主が同時に「竹島に帰りたい」という霊夢を見たことにより竹島にお還り頂くことになりました。この出来事が元となって現在でも国府村の人々の崇敬は続いています。


大黒神社
大黒神社 / 大国主神

大国主神は国土を平定し、土地を開拓し、庶民に農耕の道を教え、医薬や禁厭(まじない)の法を授けるなど、国土経営にお尽くしされた多くの功績と多様な御神徳をお持ちの神様です。また七福神の一柱である大黒天と習合し、福の神としても一般衆庶に広く仰がれております。当社においては『竹島参詣滑稽鄙栗毛』に神社名を見ることはできるものの、創建が何時の世であったのかは詳らかではありません。


千歳神社
千歳神社 / 藤原俊成卿

藤原俊成(しゅんぜい)は権中納言藤原俊忠の子として永久二年(1114)に御誕生されました。和歌に秀でられ『千載和歌集』を撰じ、歌聖と呼ばれた藤原定家(ていか)の御父上にあたります。元久元年(1204)九十一歳で薨ぜられ、当時としては大変な長命でした。久安元年から同五年(1145〜1149)当地方の三河守として竹谷蒲形の両庄の開発の任にあたられた際、風光明媚にして竹生島を髣髴とさせるこの竹島に、江州竹生島より弁財天を勧請されたことが八百富神社の起こりになります。


八大龍神社
八大龍神社 / 豊玉彦命

豊玉彦命は海の神様であり、綿津見国を主宰する豊玉姫命の御父神になります。『龍神略縁起』の記すところによれば、藤原俊成卿の夢で「この海底で年月が経過すること数百年に及んでいる。この島に社を建て私を祀るならば、永く守護をあたえよう」との託宣があり、その通りに海底に綱を入れさせたところ、龍神の御尊体が現れたという言い伝えがあります。雨乞いを始めとした霊験の著しい神様として多くの崇敬を集めています。


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